あわじ花さじき、淡路歴史探訪、沼島へは道の駅「東浦ターミナルパーク」からGo!!(トイレ△仮眠△休憩○景観△食事○設備○立地◎)

島の北部は東側に大阪湾見ながら、島の南部は島の中央を縦断する、島内唯一の国道28号線。

道の駅「東浦ターミナルパーク」は、島の北東部を走るこの国道28号線沿いの、大阪湾に面した場所にあります。
道の駅「東浦ターミナルパーク」がある旧東浦町(現淡路市)は、古くから本州と淡路島を結ぶ交通拠点として栄えてきた街で、かつては淡路フェリーボートが東浦町〜神戸(須磨港)間を就航していました。
しかし淡路島から本州へ、そして四国へと渡るフェリーがすべて無くなった現在、一部自家用車や社用車で通勤している人もいらっしゃいますが、淡路島から京阪神や四国に通勤する方の大半は高速バスで出かけておられます。道の駅「東浦ターミナルパーク」は道の駅であると同時に、高速バスの待合所としても機能しているのです。

ここは大阪湾に面し、とても温暖な気候です。近くのあわじ花さじきなどでは四季を通じて花の美しさを実感できますが、すぐ近くには「日本の海水浴場88選」に選ばれている浦海浜公園サンビーチがあり、夏の間は多くの海水浴客でもっとも賑わいます。

無料駐車場の位置は要確認

道の駅の専用の駐車場は物産販売館前にある。

バスターミナル用の駐車場は有料なので注意が必要だ。
私も、最初に訪れたときは迷った次第。あの時は、まだ「おむつ」という必殺技を知らず、トイレに行きたかったので本当に焦ったし、ちびったし(笑)。
そういう意味では、トイレ休憩に駆け込むことに限っては、この道の駅は適していないかもしれない。緊急トイレなら、コンビニのトイレを貸していただき、お礼にコーヒーかなんかを買う方がスピーディーだと思う。

あともう一つ、絶対に注意したいことがある。高速道路の東浦インターから来る場合に、一般道に出るT字路ではぜひ大袈裟なぐらいの一時停止をすること。休日は特に、パトカーが物陰で監視している。

猫V.S.タコ。なんそれ?

バスターミナルの東側に猫の墨絵第一人者の中浜稔氏の作品を集めた「猫美術館」がある。

世界で初めての猫・ねこ・ネコの美術館らしく、展示作品は中浜画伯が寄贈されたもので爾後も新しい館蔵作品がどんどん増え続けているらしい。私は行ったことはないが、猫好きの方には楽しいのでは?

たこ焼き

猫もいいが、タコもいい。

道の駅「東浦ターミナルパーク」の一番の名物と言えば、やっぱり「やま高」の“たこ姿焼き”でキマリだろう。新鮮な淡路のタコ1匹をまるごと鉄板で挟んで豪快に焼いた姿焼きは保存料などを一切使用していないので、タコ本来のうま味が凝縮していると大好評。わざわざこれを食べに橋を渡ってくる人も多いとか(笑)。淡路島で獲れた生のたこを1匹まるごと使うこの姿焼きは、鉄板にはさんで待つこと3分。ペッタンコに焼きあがったタコは、表面は香ばしく、中は少し柔らかくタコらしいコリコリの食感も残り、口に入れると旨味がブワーっと広がる。食べやすいように小さく切り分けてもらうこともできる。

物産販売

道の駅 東浦ターミナルパークでは産直の農産物が非常に充実している。

販売所として「東浦物産館」と「フローラルアイランド」があり、地元の野菜や果物など新鮮な農産物をお利口な価格で買い求めることができる。

東浦物産館

淡路島といえば「玉ねぎ」。定番すぎるけど、本当に旨いから仕方ない。

ここでは、地元の農家さんから仕入れた立派な玉ねぎがとてもお安く買える。

玉ねぎのほかにも、キャベツやレタス、トマト、レモン、お隣り徳島県産の鳴門はるかやニンジンなど、品揃えはとても豊富で、見ているだけでも楽しい。

フローラルアイランド

東浦物産館の南側にある農産物直売所は、農作物直売所は「フローラルアイランド」というお洒落な店名。 ここでも淡路産の玉ねぎが数多く販売されている。

土日には早い時間に売り切れになることも多く、午後に行ったら棚の上は“がらがら”状態、なんてこともあるので、なるべく早い時間に行くのがおすすめだ。

物産館で目に付くのはやはり淡路島名物の玉ねぎ。 特に「フルーツ玉ねぎ」と呼ばれる玉ねぎは栄養分を十分に溜め込み、甘くてコクがあると評判である。

玉ねぎを使った加工品も多数。「玉ちゃん玉ねぎスープ」は本駅の売り上げNo.1になっている。 その他にも「玉ねぎドレッシング」「オニオンケーキ」「淡路島玉ねぎラーメン」「淡路島玉ねぎカレー」等、玉ねぎ商品が並ぶ。 「玉ねぎ5倍カレー」は文字通り玉ねぎだらけのカレーで、玉ねぎ好きには堪らない商品である。 玉ねぎ以外の商品では淡路島のワカメを用いた「淡路島ワカメそば」、 海産物を用いた「鯛飯の素」「たこ飯の素」、淡路牛を用いた「淡路牛ステーキポテト」、 淡路牛と玉ねぎを用いた「淡路牛と淡路玉ねぎのそぼろ煮」等が販売されている。

気になる商品は惣菜コーナーにある淡路島の郷土料理だ。「元気巻き」はキュウリを半分使った太巻きで、通常、太巻きに入るキュウリは1/4程度と思うが、 元気巻きには普通の太巻きよりも随分多くキュウリを使う。昆布、玉子、椎茸の煮物もたっぷり入っている。

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「こけら寿司」も淡路島伝統の郷土料理だ。夏に獲れた魚「べら」をみじん切りにして、酢飯の上に置いた押し寿司である。

こけらずし

「ゆめの浜」と「やま高」

建物1階中央には、吹き戻しの里の直営店「ゆめの浜」、高田酒店の直営店「やま高」の2店舗が併設されている。ゆめの浜は、伝統産品を中心に販売、やま高は海産物加工品を中心に販売している。

吹き戻しというのは、昔懐かしのおもちゃ。笛のような棒状で、口にくわえて吹くと音が鳴りながら伸びて、先からクルクルと戻るから「吹き戻し」。巻鳥・巻笛・ピロピロなど様々な呼び名がある。淡路島は、吹き戻しの生産で全国シェア8割、お線香の生産で全国シェア7割。ゆめの浜では、この吹き戻し・淡路島ソース・猫グッズ・お線香・玉ねぎの加工品をメインに販売している。

やま高では、玉ねぎ・鳴門金時などの農産物、ワカメ・イカナゴ・海苔の加工品、お米や地酒が人気。

玉ねぎとお米、そして3つの海峡に囲まれて獲れる海産物が豊富な淡路島ならでは。

淡路島ソース各種は、濱田屋本店が製造販売する淡路島を代表するソースです。テレビなどメディアに多数登場しています。淡路島ソース旨味、和風ハンバーグ、淡路島ソース肉専用があります。

淡路島ソース旨味は、淡路島産玉ねぎの甘みや鰹と昆布の旨みを生かした万能玉ねぎソースです。和風ハンバーグは、牛と豚の合い挽き肉と醤油や玉ねぎをベースにした和風オニオンソース味です。

淡路島ソース肉専用は、玉ねぎを中心に醤油、酢、味噌などをブレンドした肉専用ソースです。

農産物は、淡路島産玉ねぎ・鳴門産鳴門金時が人気です。また、玉ねぎのスープ・お菓子・ドレッシングなどの関連商品と鳴門金時のお菓子・スイーツなどの関連商品もおすすめとなります。

「たまちゃん玉ねぎスープ」は、独特の風味・甘味・辛味がある淡路島産たまねぎ100パーセントのスープ。

「たまねぎせんべい」も、淡路島産玉ねぎを使用して独特の風味があり、エビや魚肉のすり身、チーズパウダーを混ぜたサクサクのスナックに仕上がっている。

玉ねぎのドレッシングは、「淡路島オニオンスパイス」。淡路島産玉ねぎに、マジョラム・オレガノ・バジルなどのハーブと塩をプラスしたリピート率がとても高い万能調味料だ。

「鳴門金時芋吉兆」は、さつまいも型の焼饅頭に、鳴門金時芋を使用した芋餡を入れた定番の和菓子。鳴門金時のスイーツとして、鳴門金時をジャムのように煮詰めてペースト状にしたものにバターを合わせた「さつまいもバター」ともどもよく売れるそうだ。

淡路島について

日本で最古の歴史書『古事記』の冒頭を飾る「国生み神話」には、伊弉諾尊・伊弉冉尊の二柱の神様が生まれたばかりの混沌とした大地を天沼矛で「塩コオロコオロ」とかき回すと、矛先から滴り落ちた塩の雫が固まって「おのころ島」ができたと記されている。

おのころ島で夫婦となった伊弉諾尊・伊弉冉尊は、日本列島の島を次々と生んでいくが、その中で最初に生まれた島が淡路島であると。

二柱の神様が沼矛で下界をかき回し、落ちた塩の雫からおのころ島が生まれた描写は、「海人(あま)」が生業とした塩づくりの様子に重なる。また、沼矛でかき回すことによって下界が渦巻くさまを記した場面は、海人が活躍した鳴門海峡の巨大な渦潮を想像させる。実際、現在も鳴門海峡では世界最大級の渦が巻き、島の内外には絵島や沼島、自凝島(おのころじま)神社などおのころ島の伝承地がいくつも点在する。また、国生み神話ゆかりの「えびす舞」を起源とする淡路人形浄瑠璃も地元の淡路人形座によって大切に伝承されてきた。

古事記編纂から現在まで脈々と受け継がれてきた壮大な天地創造の物語の中で、淡路島は今も国生み神話を始まりとする悠久の時を刻み続けている。

金属器時代の幕開けをもたらした「海の民」

弥生社会に大きな変革をもたらしたのは金属器の登場だ。
先端技術と文化を伝え、古代国家成立へとつなげたのは「海の民」と呼ばれる人たちである。

大陸や朝鮮半島と畿内を結ぶ瀬戸内の海の東端に位置する瀬戸内最大の島・淡路には今なお、古代国家形成期に重要な役割を果たした海の民の足跡が残っている。その始まりは紀元前の弥生時代。稲作の本格化とともに古代国家成立に向けて社会が大きく変化した頃で、淡路島ではこの時代の遺跡が多数発見されているのだ。

古式の青銅器である21個の銅鐸と14本の銅剣はその代表格。発見された7個すべてに舌を伴う松帆銅鐸、14本がまとまって出土した古津路銅剣、同じ慶野村で見つかった日光寺銅鐸と慶野銅鐸など、その多くは海岸部で発見されている。播磨灘を臨む海岸地帯を神聖な場所として埋納の地に定めた新たな祀りのあり方は、島と海を舞台に活躍した海の民が携わったことを想像させる。

紀元前後、淡路島には青銅器文化が栄えた平野の集落に取って代わるように山間地の集落が出現した。こうした集落では、弥生社会に大きな変革をもたらした鉄器文化が畿内中心部に先駆けて取り入れられていた。

1世紀に鉄器の生産を開始した五斗長垣内遺跡では、100年以上継続した鍛冶工房の跡や朝鮮半島からもたらされた鉄斧などが出土。海の民の手によって、金属器とともに先端の技術と文化が伝えられたことがうかがえる。二ツ石戎ノ前遺跡では、辰砂を原料とする朱の精製を行った工房跡も発見されている。

これらの最盛期はいずれも邪馬台国の女王・卑弥呼が登場する直前の時代。山間地集落で海の民が生産した鉄や朱は、後に大王が求めた重要な物資でもあり、「倭国大乱」の謎を解くカギともされている。

塩づくりと航海術で王権を支えた「海人(あま)」

金属器による先端文化をもたらした淡路の海の民は、後に「海人」と呼ばれるようになる。
日本書紀にある淡路島の海人の記述からは、大王が前方後円墳に葬られるようになった古墳時代の活躍がしのばれる。そこに描かれているのは、応神天皇の妃を吉備に送る船の漕ぎ手として集められた「御原の海人」や、仁徳天皇即位前に朝鮮半島に派遣された「淡路の海人」たち。優れた航海術で瀬戸内の難所である明石海峡を行き来し、王権を支えた姿が記されている。海の民から「海人」へ。製塩技術を発展させ、巧みな航海技術で船を操った海人の活躍によって、淡路島は王権との関わりを深めていったのだ。

写真は、由良から望む現在の友ヶ島。紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島は、沖ノ島、神島、虎島、地ノ島の総称だが、この島から目と鼻の先に和歌山がある。ここを渡っていく海人たちの勇ましい姿が目に浮かぶようだ。

履中天皇即位前に安曇連浜子(あずみのむらじはまこ)に率いられ軍事行動を起こした「野嶋の海人」の姿からは、彼らが水軍としての役割を担っていたことも見て取れる。

こうした記述の一つひとつからは、淡路島が王権と深い関わりを持っていたことがわかる。実際、「御原」「野島」の地名は今も島に残っている。

こうした海人の足跡を残す遺跡は島内各地に点在。海岸部で始まった塩づくりは3世紀に本格化し、5世紀には丸底式の製塩土器を生み出し、6世紀には熱効率の良い石敷炉の導入へと発展する。作業時間を短縮し、大量生産を目指した塩づくりの変遷は、畑田遺跡や引野遺跡、旧城内遺跡、貴船神社遺跡で見ることができる。製塩技術の革新によって大量生産された淡路の塩は、畿内の王権にも供給されたと考えられている。

コヤダニ古墳では島内で唯一の三角縁神獣鏡が発見され、王権との強いつながりが垣間見える。沖ノ島古墳群には多数の漁具が副葬されていることからは、海人の長が葬られたと考えられる。

巧みな航海術を持ち、塩の生産術にも長けた海人は、古代国家形成期を支えた中心的な存在だったといえる。

食で都の暮らしを彩った「御食国」

淡路島の海人と朝廷は、食を通しても深い関わりを持っていた。
天皇の食膳を司る「御食国」として、自慢の塩や海の幸を都へと運んでいたのである。

四方を海に囲まれた淡路島は、海の恵みを生かした塩や、魚、海藻といった海産物の産地として遥か昔から存在感を発揮してきた。その名声は都にまで届き、万葉集など多くの歌集や書物にも「淡路の塩」や「御食国・淡路」といった表現が数多く登場する。

たとえば山部赤人は、万葉集の長歌に「…淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海をとめ…」と、奈良時代に受け継がれた海人(あま)の塩づくりの様子を詠んでいる。また、平安時代に編纂された延喜式の記録にも朝廷の儀式である月次祭の神今食の塩が「淡路の塩」と定められていることが記されている。これらによって、海人の手によってつくられた淡路の塩が特別なものだったことがよくわかる。

舟木遺跡や畑田遺跡、貴船神社遺跡、引野遺跡、旧城内遺跡、沼島の遺跡からは時代の異なる製塩道具が出土しており、海人が生業とした塩づくりの足跡をたどることができる。また、御陵水として都に運ばれた御井の清水では、現在も清らかな名水が湧き出ている。

塩、水のほか、海人が獲ったさまざまな魚介も都へと運ばれた。

天皇の食膳を司る御食国として、優れた生産技術でつくられた塩や質の良い海の幸を朝廷に献上。王権や都の暮らしを支え、豊かに彩っていたのです。長く続いた御食国の歴史は今なおこの島に息づき、多彩な食文化で訪れる人をもてなしている。

沼島

上立神岩

写真は、沼島の上立神岩。この地方では磯のことを“バエ”と呼び、波に削られた奇岩怪岩には“アミダバエ”“ホカケバエ”というようにユニークな名前がつけられている。

沼島は国生み神話に登場する「おのころ島」伝承地の一つで、淡路島の太平洋側に浮かぶ小島。上空から見ると勾玉の形をしている。古墳や製塩遺跡が残るほか、この上立神岩をはじめ巨大な奇岩が島を取り囲んでいる。沼島の「沼」は国生み神話の「沼矛」に由来するという説もある。

淡路島の南東・土生港から汽船に乗って15分ほどで沼島に到着できるので、歴史探訪にぜひ足を伸ばしたい。

あわじ花さじき

歴史探訪とはちょっと程遠いスポットだが、確かに綺麗。道の駅「東浦ターミナルパーク」からはすぐなので寄って損はない。

淡路島北部丘陵地域の頂上部、標高298~235mの海に向かってなだらかに広がる高原に一面の花畑が広がっている。(面積約15ha)
春の菜の花、夏のバーベナ、秋のコスモスなど、季節ごとにその表情を変える花畑は、明石海峡・大阪湾を背景にした絶景。「あわじ花さじき」の名の通りさじき席なので、自由に散策して自分のお気に入りの席から自由に楽しめる。