なんという幸運でしょうか、本日2024年1月18日は。
私が目指すエージシュートの大先輩と2バッグで回ることができる、つまりはマッチプレーを楽しむことができるという機会に恵まれました。
個人情報保護の観点で、その方の名を「O田さん」としておきます。
「初めまして。今日はよろしくお願いします」
場所は東条の森カントリークラブ宇城コース。お互いに挨拶を交わした後、O田さんは私にやさしく微笑んで、一言付け加えられました。
「何せ85歳ですから、いろいろご迷惑をおかけいたします」
O田さんは85歳にして大変に腰の低い方でした。
「20歳も年上のご老人なのに、ずいぶん腰の低い方だな。目上の方に失礼のないようにしなくては」とは思いましたが、内心は正直「85歳にしてどんなゴルフができるのだろう、あまりに遅いペースだと嫌だな」と身勝手な不安を覚えていた私。その方のとんでもない力量に気づいたのは、序盤の4ホールを終えた時でした。
これぞ、エージシューターのゴルフ!
スタートホールからショットが荒れ、連続ボギーに続いてダボを打って頭に血が上っていた私は、ようやく4ホール目をパーにおさめて気持ちが落ち着いた。かたやO田さんは4ホールとも、楽々「寄せワン」のパープレーを続けていた。なんとか一つ目のパーを拾ってようやく冷静になれた私は、これまでの4ホールの、彼のまるで判を押したような「各ホールの後半2打(寄せとパット)」を振り返った。
O田さんのティーショットは全てナイスショットだったが、ドライバーで180ヤードほどしか飛ばない。
3ホール目は151ヤードのショートコースだったが、アイアンでのティーショットはグリーンに届かなかった。
出だし4ホールで3度打ったドライバーのティーショットは、ことごとく同じ距離(180ヤード)を飛んで、測ったようにフェアウエイど真ん中に落ちた。そして第二打。グリーンまでかなりの距離を残しており、3番のショートホールを除いてはユーティリティで打ったが、これもさほど飛ばない。グリーンエッジから50ヤードほどのフェアウエイにショートする。
3番のショートホールを含め、O田さんは4ホールともパーオンはできなかったのだ。というより、残り50ヤードを残して寄せワンを決める、そういうコースマネジメントをされていたのだが。
上がってみれば、すべて楽々のパーなのである。
三打目(3ホール目はショートホールなので2打目)を、全てほぼOKの距離に寄せてのワンパット。
私が戦慄を覚えたのは、ショートホールを除く3ホールとも寄せの距離が、測ったようにピンから50ヤードだったことだ。
つまり、セカンドショットは力およばずショートしていたのではなかったのだ。O田さんは出だし3ホールを安全にパープレーするため、間違ってもグリーン周りのガードバンカーに入れないよう、あるいは無理をして寄せにくいところにボールを置きたくないから、グリーン手前の花道に50ヤードが残るように正確にコントロールしていたのだ。
それが偶然でないことに気づいた時点で、私はこの85 歳のご老人はただものではないと察したのである。
淡々と、静かで、穏やかな、そして無駄と隙のないプレー
O田さんは、今まで私がご一緒させていただいた誰よりも、淡々と、静かに、穏やかにプレーされる方だった。
ボールのところに行って、構え、打つまでのリズムはまるで同じである。
さらに驚いたのは、歩くペースが、常に一定であることで、そんな方は初めてだった。
ショットの後も、何事もなかったかのように同じペースで歩き始める。
もっとも、常にフェアウェイセンターでのプレーなので、急ぐ必要もないのだが。
それにしても、イッチニッ、イッチニッ、と歩くペースも歩幅も全く変わらない。どんなに上手い人でも、時には駆け足、早歩きが混ざるし、ミスショットの際には声が出たりもする。
「不整脈なので、早く歩いてはいけないんです」と彼。
その後も、4ホールだけボギーで、あとはすべてパー。結局、前半は40で回られた。この85歳の老人が只者でないという私の思いはもう確信に変わっていた。
ご一緒した昼食、時間はたっぷり1時間
「あのお、85歳ということは私の20年先輩なのですが、お伺いしてよろしいでしょうか?」
と切り出した私。
「先輩は、エージシューター、ですよね?」
「あ、まあ。やったことはありますが」
「やっぱりそうですよね。ゴルフの中身が私なんかと全く違いますから、きっとそうだと思っていました」
「そうでもないですよ。あなたのように飛ばないですし」
「いやいや、フェアウエイセンターから残り50ヤードの寄せを確実に1ピン以内に寄せてパーを拾って行かれるそのゴルフ、間違いなくエージシューターだと確信しておりました。1度や2度ではないでしょう?」
「まあ、8回ほどやりましたかね」
「すごい。今日も、後半45以内ならエージシュートですよ!ところで何歳の時が最初でしたか?」
「78の時だったから、7年前ですね。クラブを借り切るような大きなコンペで、ベストスコアに近い75が出て優勝したんです。表彰式が終わりに近づいた時、実はエージシュート達成だったことをゴルフ場の支配人からアナウンスしていただきまして。全く意識していなかったし、そこで初めて知って、驚いた次第です」
定年を機に、ゴルフ銀座「兵庫」に移住
「すごいですね、78歳で75で回るって、憧れです! ベストスコアは幾つで、いつ頃でしたか?」
「現役で働いていた頃は大阪の豊中に住んでいまして、当時ホームコースだった「箕面」で50歳の頃に出した72が最高でしたか。同じクラブでクラブチャンピオンを競っていた連中のほとんどはアンダーで回っていましたから大したことはありません。何せ私は、距離が出ないものですから、フルバックから回ったら飛ばし屋にはとてもかなわないですよ」
「でも、寄せとパターが恐ろしいほどに正確です!」
「そうですね、マッチプレーなんかやると、すごく嫌がられはしましたね。相手はティーショットで私より何十ヤードも前に飛ばしているのに、上がってみれば同じパー。そんなホールが続いていると、メンタル的に相手がもたなくなって自滅していくということはよくありましたかね」
「大阪にはいつまでいらっしゃったのですか?」
「定年、60歳までです。ここ兵庫県には何のゆかりもなかったのですが、定年後はゴルフを思う存分できる環境が欲しくて、全国的にもゴルフ場が3番目に多い兵庫県の、そのど真ん中を狙って家を買ったのですよ」
「うわあ、それはすごい。失礼ですが、まさかお一人で自由にできたことなのですか?」
「いえいえ、家内の反対はありましたよ。大阪の豊中は、女性にとっては住みやすかったようで。でも、家内が病気がちで何度も手術を繰り返していたこともあって、空気の綺麗なところに住もうよと。引っ越してしまえば、今度は家内がゴルフに興味を持ってくれまして。そこから、家内の手術とリハビリに、夫婦一緒のゴルフプレーが良い日常になっています」
「最高の夫婦ですね〜、裏山の椎茸大豊作〜!」
私のくだらないダジャレはスループレーで無反応だったO田さん。
勿体無いことに私にもいろいろ質問してくださり、話は互いの仕事の話にも及んだ。
O田さんは1960〜70年台の総合商社花の時代の、まさにエリート商社マンだった。
国内勤務と海外赴任は半々だったそうで、国内でのお仕事で、付き合いで覚えたゴルフだったが、いつしかハマっていたそうだ。、
海外赴任は、アメリカ、オーストラリア、香港などでプロジェクトを多数手がけたほか、最も長い赴任は中東のドバイだったという。
ドバイ赴任中に起こった湾岸戦争で、まさに命懸けの仕事をしている間に、激しいストレスで頭髪は真っ白になってしまったそうである。
日本の経済発展の真っ只中にいた、元祖エコノミックアニマル。
そのパワーは、齢85にして健在である。
日本経済の牽引世代からの、マンツーマンレッスン
あっという間に楽しい昼食1時間が過ぎて、後半は東コースへ。
ゴルフのプレーに集中するために、お互いに余計な話題は避け、プレーに集中したが、カートの上ではまたとない機会を逃すものかとばかり、私はO田さんを質問攻めにした。
それはさながら無料マンツーマンレッスン。学んだことを「エージシューターの金言」としてまとめると、次の4つである。
- エージシューターの金言1 「筋力の衰えや持久力、関節可動域の減少、柔軟性の喪失はどをすべて受け入れること。衰えには逆らわないことです。すると、再現性が最も高いシニア仕様のコンパクトスイングに行き着くはずです」
- エージシューターの金言2 「練習は芝の上だけで十分でしょう。私が買った家はゴルフ場と同じ番地。そこでのラウンドだけが私の練習ですよ」
- エージシューターの金言3 「自分の体の一部になるパターを決めことですね。方向性がブレる人はマレットでも良いですが、私は距離感重視なのでずっとブレードです。このパターと決めたらあとは浮気しないこと。私はもう30年も同じパターを使っています。もうこれは、私の体の一部、それを変えたらどうなるか考えるだに恐ろしい」
- エージシューターの金言4 「体への労り(目の保護、水分補給などを含めて)が大事です。ゴルフも、寒い1月2月はしません。今日は冬とは思えない暖かさなので来ましたが、もちろん今年初めてです。もちろん6月から8月の3ヶ月はゴルフなんてもってのほか。熱中症や心臓麻痺とかで死んだら馬鹿馬鹿しいですもの。そうそう、あなた距離計持ってますよね。でも、距離計には頼らないことですよ。距離感の衰えは寄せワンの大敵ですから」
後半の私へのレッスンがお疲れを誘ったのか、私の荒っぽいゴルフにペースを乱されたのか。O田さんの後半スコアは46で、トータル86だった。私は3打及ばずの89(33パット)。
O田さんは85歳なので、残念ながらわずか一打だけエージシュートに届かなかった。エージシュートを目撃したかったと悔しがる私に、O田さんはそんなことどうでも良いとばかりの泰然とした態度、優しい笑顔で、最後にこうおっしゃった。
「やっぱりこのコースはトリッキーで難しいですね。今日はありがとうございました。無事、楽しく回ることができました。」
初対面であることなど関係なく、心からリスペクトできる大先輩との新年のありがたい出会いに、心がときめいた1日だった。
ありがとうございました、O田さん。