2011年3月11日のこと

2011年3月11日。
その日13時過ぎ、私は京都リサーチパークでの仕事を終え、クライアントの役員Nさんと一緒にタクシーに乗りました。

すると、運転手さんが

「この車は四葉のクローバー車でございます。記念にどうぞ」

と言って、四葉のクローバーシールが入った乗車記念カードを二人にくれました。

※写真は、2011年3月11日に起こった東日本大震災の1時間前にヤサカタクシーからいただいた「四葉のクローバー」です。

京都では、1,400台ある三葉のクローバーが目印の普通のヤサカタクシーに混ざって、たった4台しかない四葉マークのタクシーが走っています。

この、起こって欲しかったことと、

あの、絶対に起こって欲しくなかったことは、同じ日、ほぼ同時に起こりました。

不幸を呼んだ四葉のクローバー

クライアント本社前でそのタクシーを降りてNさんと別れ、私の事務所に戻った14時46分。

日本の、東日本全体が、大きく揺れた。

「幸」と「不幸」との、あまりといえばあまりの皮肉な巡り合わせに、私は

「ふざけるな、なにが四葉のクローバーや!」と憤ったことを覚えている。

笹かまぼこをつまみながら

私は自分の阪神大震災の経験から、被災者本人個々の「復興」というものは奇跡的なことだと思い知っている。

それを知っていて、それでも東北への支援ボランティア活動をしなければと、私は何度か被災地を訪れた。

中でも思い出深いのは、石巻の某ご家族宅でいただいた「笹かまぼこ」の味だ。

「食べて食べて。石巻のこれ、うまいちゃ…」


被災者宅の笹かまぼこを何度も勧められ、私が一つほおばらせていただくと、みんなも笹かまぼこを頬張りながらの語り合いが始まった。

「神戸も 大変だったろうねえ」

「自分らもこれを現実として受け容れてよねえ、これから生きていぐっぺさ…」

皆さんのそのお声に、堰を切ったように涙がこぼれ落ちたことを思い出す。

あれから13年

私などの微力はもちろん、被災者の皆さんの思いや願いともかけ離れた現実。13年経った2024年の被災地は、まだまだ復興しきれていない。

そしてまた、「北海道」が揺れ、九州が揺れ、今年は能登が大きく揺れた。

そしてどうやら「南海トラフ」も来るという…。

こうした事実や歴史や予測を前に、ちっぽけな一人の人間として、私個人の脳を支配するものは「恐怖」「不安」「絶望」…。

心の中に四葉のクローバーを咲かせて

しかし、自分がいつ死んでも愛する誰かに繋がっていくというイメージや確信を持って生きることができればどうか。
そんな生き方ができれば、心の中のあらゆる邪念が去って、「愛」だけが残るという感覚がある。そう、生かされている今日や、好きなゴルフができることへの「感謝」も、誰かのために生きる「幸せ」も、全ては無償の「愛」が源泉であることに気づくのだ。

だから、思う。
あの日ヤサカタクシーからもらった「四葉のクローバー」は、自分の心の中に咲いていてくれれば良いのだと。