私がリクルートで働いた23歳からの9年間。
仕事を通じて、無限の将来性を感じたコピーライターが二人いました。
天才肌の林海洋(前列向かって左)さんと、努力と誠実が代名詞の上森秀樹さん(後列向かって左)。
一つ年下の林さんと、2つ年上の上森さん。
いまだに夢によく出てこられるほど濃いお付き合いをさせていただいたお二人、私と年も大して変わらないお二人が、なんと今はもうこの世にいません。
努力、誠実の人、上森秀樹
上森さんとの出会いは、リクルートに私が入社して半年が経過した1982年10月のこと。
私がディレクター、上森さんがコピーライターのコンビを組み、決して大げさではなくリクルート神戸にいた4年間に私が担当した仕事の半分を彼と取り組んだ。
彼も殺人的とさえ言えた仕事量をこなしたこの時代を、その後会うたびに懐かしんでくれていた。
当時、徹夜徹夜の朝方に書かれた上森さんの原稿の文字はもはやFAXにはうつらないほど薄れ(当時の原稿は手書きだった)私にしか読めない暗号文字と化していたことを、お亡くなりになって2年が経っても時折懐かしく思い出される。
特に今日のようは冷たい雨が降り頻る日などは、寂しさが募って涙に暮れてしまう。
また、私の母の父、父の兄弟たちだけで五人戦死した私の「戦争観」や「英霊への感謝」などに深い理解をいただき、思想的にも近しく、音楽の趣味も同じで「フォーブラザーズ」というロックバンドを一緒にやったこともあるし、28年前の彼の結婚式では泥酔状態のバンド演奏でもうしっちゃかめっちゃかな披露宴になったことを思い出すと、今でも赤面するし申し訳なく思う。
手練れのコピーライターはもちろん他にもいらっしゃった。森田さん、川野さん、藤野さん、橋本さん、古村さん、金城さん、堀さん、そして新進気鋭だった林さん…。
しかし彼らはみな大阪在住で、当時仕事のピーク時は大阪の仕事で手一杯になっていた。
私は互いに大きく成長したいと考え、神戸在住のコピーライターとして最も可能性を感じた上森さんを羽交締めにし、あるいは拉致監禁し、敢えて仕事を集中させた。
のちに彼が「屋号」として「ページメーカー」と名乗り始めた時、「ページ数ではなく、ページの中身をメークしてくださいね!」「多作長文の上森さんにはピッタリの名前だけど、駄文はだめですよ」などと、失礼承知でその命名をいじったことがあったが、サッカーで鍛えた体力と、神道で磨き上げた精神力で、寝ずの仕事が続いてもなんとかこなしてくださった。技術系に強いライターになろうとして、どんなに多忙であっても知識の吸収努力に手を抜くこともなかった。
天才肌・林海洋との出会いと別れ
林海洋さんとの出会いは1986年。大阪支社に移動し、プレーイングマネジャーとして現場の仕事も兼務するようになってからだった。
最初の仕事で、「この人はちょっと違うな、すごいコピーライターに必ずなるだろう」と確信したことを覚えている。
しかしその稀有な才能と仕事を共にしたのはたった2年間。
私は東京に異動となり、林さんとも上森さんとも仕事をする機会を失ってしまった。
東京に行った私は程なく最低なセクハラ&パワハラ上司と喧嘩別れしてリクルートを去り独立して大阪に戻るのだが、喧嘩別れした最低上司が大阪に追いかけてきて私の同行に目を光らせたので、当時リクルートの財産であった二人の才能を発揮していただくお仕事を依頼するわけにいかず、コピーは全部自分で書くしかなくなった。
ただし、二人ともに。プライベートなお付き合いは続けてくださった。
私も上森さんも音楽が好きで、上森さんは私のライブには皆勤してくれたし、好きな音楽ジャンルは違っても、林さんも何度もライブに来てくださった。
上森さんは飲んだくれの私にいつもとことん付き合ってくださった。
林さんは酒を嗜まなかったが、それでも昼のみにさえ付き合ってくださったことがある。
そんな林さんに、ある日今後の仕事の方向性について相談されたことがあった。そして、二人だけの延々侃侃諤諤の作戦会議。
あの時の作戦は遠大で、林さんはそれをまだ実行しきらない2020年7月29日、こんなメッセージを残して旅立った。
上森さんが亡くなったのはその1年半後の2022年1月1日のことだった。
私が惚れ込んだ2人のコピーライター。
リクルートは、はっきり言って、二人の得難い才能を育て生かし切ることができなかった。儲ける効率を追求し、手間暇かかって利益を出しにくい自由表現の世界から撤退したのだ。
かくして、クリエイティブなブレーンの皆さんは使い捨てられるが如く、またはボロ雑巾のように捨てられた。
ならば。
意固地になって自らコピーを書くなんて愚行から早々に足を洗って、私が彼らともっと仕事をすればよかった。
そんな私も、今は広告の仕事からすっかり足を洗ってしまった。
しかし、今なお思う。もしリクルート退職後にも彼ら2人と仕事ができていればと。
もっともっと、面白いことがたくさんできたことは間違いない。