ゴルフはアイアン、アイアンはミズノ。

私がゴルフに熱中した時代は、これまでに2度ありました。

1987年〜1988年の2年間と、2005年〜2011年の6年間、計8年間です。
その8年間愛用したのがいずれもミズノのアイアンで、一つ目のセットがTN-87、2つ目のセットがMP-60でした。

あのタイガーウッズが、スタンフォード大学時代からミズノの「MP」を愛用していたことや、プロ転向後もしばらくは使いなれたミズノのアイアンを使用していたことはよく知られている。

タイガーが選んだ世界のミズノ。そして、ゴルフは「アイアン」の名手が制す。

私は今も、ミズノのアイアンは世界一のクオリティであると思っています。

ミズノは、アイアンも会社も最高!大好き!!

今回で通算3度目のゴルフ熱中、使うアイアンはこのアイアン。これまたミズノアイアンの代名詞「完全軟鉄鍛造」モデルである。

ミズノといえば創業120年を超えた老舗企業である。言わずと知れた日本一のスポーツメーカーであり、いまや世界を代表するスポーツブランドの一つとなっている。

42年も前になるのだが、私はそんなミズノでアルバイトをしていた。大学で野球部だった私は4回生になって引退したタイミングで、チームの大エースだった2年先輩のK藤さんと大先輩のK野さんを頼って、ミズノゴルフクラブのデザイン室に潜り込むことに成功したのである。それは1981年のことだった。

当時は野球以外のスポーツにてんで疎かった私だったが、1980年の全米オープンに青木功さんがほぼ飛び入りのような形で出場され、あの帝王ジャック・ニクラスと4日間同じ組でがっぷり4つの激闘を演じたことでゴルフというスポーツを知ることになる。結果は惜しくも2位(優勝はニクラス)だったが、青木さんの勇姿があまりにもカッコ良く、ゴルフというスポーツに興味を持ったばかりのタイミングだったこともあり、ゴルフクラブのデザインという仕事のお手伝いができることが嬉しくてたまらない毎日だった。

私がアルバイトでお世話になった当時のミズノの本社は、当時は大阪の福島にあった。職場の雰囲気はとても良く、仕事が終わると阪神電車の高架下の居酒屋で先輩たちにしばしばご馳走になった。特にお世話になったK藤先輩もK野先輩も心から尊敬できる人間性で、やはり良い商品を開発し続ける会社は、やはり「人」が違うな、と。学生の分際にもそう思わせるほど、人材の宝庫の感が満ち満ちていた。

パワハラで買わされたパワービルト

1982年、私は大学を卒業してリクルートという会社に入社した。

最初に担当したのは求人広告を制作するディレクターという仕事だったが、それはデザイナーさんやコピーライターさん、カメラマンさんといった外部ブレーンの方々のご協力を得ずしては遂行できないものであった。

私がゴルフを始めたのは、そんな外部ブレーンのベテランカメラマン、Y敷さんという方から強い誘いを受けたことがきっかけだった。

Y敷さんは強引な方で、ある日の昼休み、「おい、ちょっとメシ食いに行こ」と私をオフィスから連れ出した。ところが彼の車に拉致され着いたところは定食屋ではなく、ツルヤゴルフの本店である。彼はそこで勝手にクラブをチョイスし、私に言い放った。

「これを買いなさい」

強引なだけでなくて強面な彼の命令を新入社員の私が断ることなど到底できなかったし、ゴルフクラブについてまだなんらの知識がなかったので断る理由も思いつかなったこともあって、つくったばかりのクレジットカードで、言われるままに支払うしかなかったそのクラブセットは確か、パワービルトのアイアンとツルヤのパーシモンウッドの1番、3番、4番とパター。あまりカッコ良く思わなかったツルヤのキャディバッグに14本のクラブが入って8万円ほどだったと記憶している。

かくして一応ゴルフを始めた私だったが、仕事に追われる日々だったこともあって年に2度ほど上司やブレーンさんに誘われた時にだけついて行く程度の超初心者ゴルファーとして、5年の歳月が流れた。

名器中の名器TN-87は、猫に小判だった

そんな私が初めてゴルフにハマったのは、AON(青木功さん、尾崎将司さん、中嶋常幸さん)の御三家(ビッグスリー)の大活躍でゴルフ人気が急上昇し、ゴルフ場が雨後の筍のようにでき始めたバブル時代、1987年のことだった。

あの映像は忘れもしない。
ビッグスリーの一角、中嶋常幸さんが出場した1987年の全米オープンは、オリンピッククラブ・レイクコースで開催されていた。15番ホールで一時単独トップに立った中島さんは、最終18番で第2打が松の巨木に当たり、そのまま落ちてこないという不運に見舞われたのである。まさかのロストボールでダブルボギー、日本人初のメジャー制覇の夢は、この瞬間潰えたのだった。

この悲劇の全米オープンが終わった日の月曜日。私はトミー中島の理想を形にしたミズノアイアンの名器TN-87を衝動買いしたのであった。

名器はバブルとともに去りぬ

TN-87は、アイアンに定評があるミズノの中でも伝説の名器と呼ばれる存在である。

TNとは、全米オープンでは悲劇に見舞われたものの当時2年連続賞金王になっていた中嶋常幸プロのイニシャルで、このモデルの原型となったのは、ベンホーガンの「パーソナル」ということだ。

ヒール寄りでボールを包み込むようにしてボールをコントロールするよう設計されたその形状は、少しでもトゥ寄りに当たると容赦なく手が痺れる。ヒール寄りにスイートスポットがあるが、何せヘッドが極端に小さい。当時100も切れていない私のようなゴルファーには真横に飛んでいくような強烈なシャンクも、極端なヒッカケも両方出てしまう。

よほどの上級者にしか打ちこなせないようなクラブでしたから、初心者の私にはとてもじゃないけどミスマッチ。猫に小判そのものだった。

しかし職場のみんなも猫も杓子もゴルフにハマったバブル全盛の1987年から1988年にかけて。私は大阪勤務で連日朝帰りの激務だったが、土日のどちらかはゴルフに誘われて、この難しいクラブでスコアを大きく崩しながらもゴルフに熱中したのである。

そんな1988年の秋のこと。私は突然、東京転勤を言い渡される。

当時リクルートは、労基もびっくりの残業時間だけではなく、転勤の辞令は突然出されその3日後には新任地赴任が始まるような、今では考えられないブラック企業そのものであった。

ゴルフクラブを持って行くなんてとんでもない。赴任先の東京本社は倍々ゲームのように伸びる売り上げに、浮かれるというより逆に殺気立っていた。

それまで住んでいたワンルームマンションの後片付けもそこそこに身一つで東京の寮に入った私は、こうして、せっかくハマったゴルフからたった2年で離れてしまったのである。

MP-60で出したベストスコア77

バブル崩壊が原因ではないのだが、そのタイミングで私はリクルートを退職。フリーランスとして飯を食っていく人生に踏み出した。

自分で取りに行かなければ仕事にはありつけない、そんなフリーランスになった私は、ゴルフは封印したまま、再開するのに18年という相当の歳月を要してしまう。

その間に結婚し、2人の子どもに恵まれ、家族みんなで楽しむスポーツに選んだのはスキーだった。

やがて仕事も軌道に乗ってきたので、またゴルフでも楽しみたいなという気持ちになった私は、ある日仕事帰りにゴルフショップに立ち寄ったのである。

そこで、一目惚れしたアイアンが、ミズノのMP-60。2006年の発売以来海外ツアーで12勝を挙げた、名器の誉高いハーフキャビティアイアンである。

ふと気がつくと、私はこのクラブを衝動買いしていた。

思い起こせば18年前に振っていたTN87は、ヘッドが小さな鉄の塊でしかなかった。「マッスルバック」という形状もさることながら、TN87はヘッドが極めて小さく、上級者でないととても太刀打ちできないクラブだった。

しかし同じく上級者向けのMPシリーズにあってMP-60の形状は「ハーフキャビティ」である。芯をくった時の打感が抜群なのはMPアイアンとして当然のこととして、少々スイートスポットを外してもなんとか飛んでくれた。私はこのクラブを2005年から2011年までの6年間使用し、100を切り、90も切り、80も切ってベストスコアである77を出すことができた。

こうして私のゴルフ全盛期は訪れたのだが、2011年の東日本大震災のことでメインクライアントの社長さんと衝突。仕事を失った私は、再び11年間にわたってゴルフクラブを封印する羽目になってしまったのである。

キャディバックからアイアンが消える?

それから11年の歳月が流れ、私は65歳になった。
トータル34年にも及ぶ、長いブランクがあった。その間に、ゴルフギアの目覚ましい進化があった。

ウッドは、パーシモンからメタルへ、チタンへ、そしていまや「カーボンヘッド」へ。メタルに変わった時点でもはやウッドではないのに、名前だけはウッドのまま。新しい名称を考える間もないほどの進化である。

ミスが出にくいユーティリティクラブの進化はさらにめざましく、難しいロングアイアンを使いこなす人は減り、今やユーティリティクラブはミドルアイアンにさえとって変わりつつある。

また、かつてアイアンセットに必ずセットされていたピッチングやサンドウエッジも、ウエッジのセットとして何本かをバッグに入れる時代になった。

周りでも、ロングアイアンをバッグに入れていない人が増えてきた。また、ミズノのブランドが玄人好みすぎるのか、あまり見かけなくもなってきた。どうやら最近、キャロウェイ、タイトリスト、テーラーメイド、ピンなどにじわじわとシェアを奪われているという。

しかし、ミズノにしかつくれなかった、まさに日本刀の切れ味を思わせるミズノアイアンの名器はやはり素晴らしい。

私は今なお、断固、永遠のミズノアイアンファンである!