ドライバーチェンジでコンペアレンパ <43th.87(36)@道の駅「とうじょう」から15分のマダムJ>

淡路島の仲間たちがずっと続けてきた「どんたーず」コンペ。
今日5月12日は、なんと第170回の記念大会。
前回優勝してしまったので、この記念大会の幹事を務めました。
会場は、「マダムJゴルフ倶楽部」。
見るからにバブル時代の産物w

でも、コースとしてはとても良いコースでした。

天気予報は雨でしたが…

天気予報は雨だった。

しかし私たちのコンぺのプレー中はなんとか持ち堪えてくれ、最後の最後、最終ホールは土砂降りだったが、ギリギリ「天候に恵まれた」と言っていいだろう。

月並みだが、参加者皆さんの、日頃の行いの賜物かと。

狙ったわけじゃない、アレンパ。

連続して幹事をしたいわけはない。
かといって、手を抜くなどという失礼な行為をしたわけでもない。
87(36)というスコアはごく普通のスコアだったし、昨日届いたばかりの新しいドライバーでいきなり臨んだという危ない橋も渡った。
それでも、結果は、「連続優勝(アレンパ)」ということになってしまった。
次回も幹事を仰せつかることになったが、しっかり務めたいと思う。

伝統のコンペだからこそ

コンペ終了後の打ち上げで、私はある人物と衝突した。
その人物は、この「どんたーず」の170回を数えるコンペの歴史の中では、私と同様5回に満たない参加回数で、いわば「外様」であった。
その人物の問題は、二つあった。
一つ目は、スコアを誤魔化す人物だったことである。
一緒の組で回った私は、少なくとも4ホール一つずつ、計4つの過少申告に気づいていた。しかし、私の友人の紹介でこのコンペに参加した人物ということもあったし、過去の実績でも140叩くような実力だったので36の上限ハンデをもってしても上位には顔を出さないだろうとたかをくくっていたこともあって、敢えて「打数過少申告」の指摘をしなかった。その指摘をするならばこの会に紹介した人物自身がそれをするべきだとの認識だったため、私は彼の目にあまるスロープレーと、周りへの配慮があまりに欠けたプレー態度についてのみ注意した。
ところが、この4つの誤魔化しの結果、111で回った?彼は、2位に食い込んでしまったのだ。

このことによって、2つの問題が起こった。
一つは、過去何十回、百回以上参加してこられた人たちの順位が変わってしまったこと。

もう一つは、実力からして彼などは誰も買わないから、結果彼が「馬」を独り獲りしてしまったことである。もちろん、こうした問題が起こらなくても、スコアを誤魔化すような人間は、ゴルファーの資格がないことは言うまでもないだろう。
その人物の問題の二つ目は、ゴルファーどころか、人間性そのものの問題だった。
人生の浮き沈みは誰にもあることだが、彼は商売の絶頂期から転落した際、自己破産した人物であった。自己破産というのは、「返済すべき金を返せない」ことによって「借金の踏み倒し」が余儀なくされる状況である。
普通の人間であれば、多数の人間に対して借金を踏み倒したその「罪」を悔い、生き方を改める。それが「人の道」というものである。

実際私の友人にもその体験をした者が3人いるが、みなその修羅場を活かして、なんとかその「生き方」を改めて、現在生きている。
そりゃそうだろう。貸した金を踏み倒されて泣いた被害者がたくさんいるのだから。

踏み倒された被害者の中には、このことで人生を狂わされる人も多いのだ。

しかし、この人物は、そうした罪の意識が全くなかった。

酒を飲み、饒舌になった彼は、儲かるならなんでも良いとばかりに、見境なく「焼肉」や「フィリピンパブ」などの経営に手を出したことを「武勇伝」のように語り、まるで反省の色がなかった。

イタリヤードを破綻させた後も、祇園で飲みまくっていた北村陽二郎の顔がダブった。
破産後も祇園で飲み歩いていた彼は「いつ刺し殺されてもおかしくない」と言われていた。反省の色がない彼は、その後再生を期してあがいたものの、その末節は惨めそのものである。
元々、北村のような「懲りない人間」を嫌い、理念なき経営を嫌悪する私である。
しかし、家族にかけたであろう苦労も悪いとは思っていないと嘯き、友人から借りてまだ返していない金もこれからも一円たりとも返さないとその人物は言い放った。この時点で、この人間は許せないと思ったが、そんな状況で彼が今日のコンペに乗ってきた車が、500万円はするハリアーの新車であったことは、私の違和感、嫌悪感を一気に増幅させた。

金銭的な迷惑を人に対してかけていて、その迷惑は彼らの人生を狂わせたかもしれない、そのことに対する何らの罪の意識なく、己勝手に生き続ける彼の姿を見て、ついに私は意見した。

そして、罵倒した。
場の雰囲気を壊しはしたが、結果、彼はこの「どんたーず」の会を退会することになったという結果は然るべきものだと思う。
170回の歴史を重ねてきたこのコンペに参加する人たちは、みな、あの阪神大震災を乗り越え、地道な努力を重ねて現在の生活を築いておられる人ばかりなのである。

その参加者のみなさんとはおよそかけ離れ、会のメンバーとしておよそふさわしくない穢らわしい人間は、早々に退会して然るべきだったと確信する。