兵庫県南北縦断、生野鉱山へは「銀の馬車道・神河」で仮眠してGo!!(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地◎)

「日本のへそ」と呼ばれる西脇のお隣、つまり兵庫県のほぼ中央に位置する神河町。
ここに、中播磨地域で第一号となった道の駅 「銀の馬車道・神河」があります。
「銀の馬車道」(国道312号線)沿いにあることからこの名が冠されました。

「銀の馬車道」って、ご存知の方あるいは耳にしたことはあるという方も多いのではないでしょうか。

銀の馬車道とは、兵庫県の中央部播但(播磨と但馬)地域を南北に貫く一本の道で、飾磨港(現在の姫路港)から生野鉱山まで49km、さらに中瀬へと至る全長が73km。「播但貫く、銀の馬車道 鉱山の道」として日本遺産に指定されています。
鉱山の採掘・製錬に必要な機械や日用品などの物資と産出された金・銀・銅の鉱石を輸送するルートとして整備されたこの道を、かつて多くの人びとや馬車が盛んに行き交いました。
道の駅周辺では唯一、銀の馬車道が当時の面影をとどめている「現存する馬車道跡」があり、実際に散策することができます。

茅葺き屋根の風情に驚く

道の駅 「銀の馬車道・神河」にある「大黒茶屋」では、地元神崎フードによる美味しい巻き寿司やいなり寿司のほか「お弁当お惣菜大賞」で特別賞に輝いた大河ドラマのロケ弁もテイクアウトできる。

テイクアウトといっても、お店の前の休憩場所はとても充実していて、ここでいただくのがお勧め。

休憩スペースが素晴らしい!

とにかく、自由に休憩できる場所がとても充実している。

休憩目的の立ち寄りなら文句なしに満点だ。

トイレも施設規模を考えれば文句なし、混まない。そして、道の駅では滅多にお目にかかれない、なんとウォシュレット付きだ。こちらも満点。

食事も魅力的!

飲食コーナーでは、大きな穴子の天ぷらをメインに、但馬鶏の唐揚げ、姫路特産豚の「桃色吐息」のオリジナルコロッケが入った「銀の馬車道定食」が人気。中でも平日限定だが「但馬鶏の唐揚げ食べ放題定食」は税込1,380円で食べ放題!これはお得、魅力的だ。
おむすびキッチン(ふるさと工房)夢蔵も、テイクアウトおむすびをお店の前の野外テーブルで座っていただける。

農家さんごとに無農薬野菜をプレゼン

地元産の特産品販売や青果市も開かれている。

農家さんごとに、無農薬での自信作がプレゼンテーションされていて、飛ぶように売れていた。

最後に仮眠についてだが、これも文句なく、快適に眠れると思う。

トイレから見える駐車場だが、とても広く、トイレや施設からどれほど離れていれば快眠できるか、場所を十分選択できる。夜はめっきり車が減るので、施設から近めでお休みなるのが安心できると思う。

銀の馬車道とは

姫路・飾磨港から生野鉱山へと南北一直線に貫く“銀の馬車道”。
道はこの道の駅から、さらに明延鉱山、中瀬鉱山へと“鉱石の道”が続く。
わが国屈指の鉱山群をめざす全長73km のこの道は、明治の面影を残す宿場町を経て鉱山まちへ、さらに歩を進めると各鉱山の静謐とした坑道にたどり着く。
全長73kmのこの道は、鉱山の採掘・製錬に必要な機械や日用品などの物資と産出された金・銀・銅の鉱石を輸送するルートとして整備され、多くの人びとや馬車が盛んに行き交った。

播但を貫いて鉱山群へと向かう旅。それは、鉱山まちが放ついぶし銀の景観と生活の今昔に触れながら明治~大正~昭和へと連なる時の足跡を辿る旅路である。

地図

土砂のように銀が採れた生野鉱山

16世紀に朝鮮半島から精錬技術「灰吹法」が伝来してから、日本の銀の産出量は飛躍的に増加し、日本は世界に名だたる銀の産出国となった。
最多の産出量を誇ったのは、最も早く開発が進んだ島根県の石見銀山で、それに次いだのが朝来市の生野鉱山である。
生野鉱山の発見は、大同2年(807)と伝わるが、本格的な採掘が始まったのは田島守護職・山名祐豊の時代、天文11年(1542)からのことである。
生野に伝わる「銀山旧記」には、石見銀山から最先端の採掘精錬技術を導入したことや、「銀の出ること土砂のごとし」という生々しい記述がある。
銀は、権力者の重要な財源であり、織田信長や豊臣秀吉、江戸幕府も生野鉱山を直轄地とした。8代将軍徳川吉宗の時代には最盛期を迎え、月に150貫(約562kg)の銀を算出したというから本当にすごい。

銀はその後、日本の代表的な輸出品となっていくが、同時に、当時の貨幣経済に大きな影響を及ぼすようになる。

史跡生野銀山 | 観光スポット | 【公式】兵庫県観光サイト HYOGO ...

生野鉱山のある但馬地方は古来、140にものぼる鉱山があったと言われる日本有数の鉱山エリアで、明治時代になると生野鉱山に続いて、同じ朝来市の神子畑鉱山、お隣養父市の明延鉱山と中瀬鉱山も官営となる。

播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道を行こう

これらの鉱山をむすぶ輸送路の整備も始まった。
明治9年には、最短かつ平坦なルートが選ばれ、生野鉱山と瀬戸内海の飾磨港(現在の姫路港)を結ぶ長さ49kmの馬車専用道が、重量のある鉱石の運搬にも耐えられる日本初の高速産業道路として完成した。その後、生野と神子畑を結ぶ鉱石運搬専用路、神子畑と明延を結ぶ明神電車(一円電車)なども開通した。
現在、これらの鉱山はすべて閉山しているが、姫路港と生野を結ぶ道は「銀の馬車道」、生野から神子畑、明延を経て中瀬に至る道は「鉱石の道」と呼ばれ、2つの道を合わせると全長73km。「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」として日本遺産に認定されているこの道を、姫路港から北上し、2時間ほど走れば道の駅「銀の馬車道・神河」に着く。
ここで休憩して、北へ。心は明治時代、さらに江戸時代へ。
この道はおすすめです。

銀の馬車道 時空を超えて辿る歴史探訪浪漫譚_。