「ちゃんとした最期」を迎えるために

最後にホームコースである西脇CCをラウンドしてから、早いもので3ヶ月。
梅雨、そして酷暑を、長らくラウンドしない理由にしていましたが、実はそれが本当の理由ではありませんでした。
父母の長男である私が、94歳の父、88歳の母のQOL(生活の質)を支えようと(世間ではこれを老老介護と言うらしいですが)、二人のそばで暮らし始めて、はや1年と3ヶ月になります。

ところが、ちょうど1年が過ぎて、この3ヶ月で急速に状況が変わってしまい(父母ともに状況が随分と悪化しました)、ゴルフどころではなくなった。と言うのが、ラウンド中断の本当の理由です。
もともと66歳の誕生日を機に、残された時間にやることを①ゴルフ、②ライブ、③車中泊旅 の3つに絞り、それぞれに自分自身が設定した「エージシュート(老齢達成)」を決めたいという思いで生きている私です。

しかしこの個人的ビジョンも、揺らぐことはなくてもあくまで「両親に恩返しをしてしっかり見送る」ことが大前提であり、それをやり切ってこそ、やり切った後に神様に聞いてもらえるわがままにすぎません。
あ、ちなみに。

私はこの3ヶ月の間に父と母だけでなく、私自身の終活として、永代供養墓を故郷淡路島に設置を完了しておりまして(笑)、この写真はその一家永代供養の段取りが済んだタイミングでひ孫を抱く母と、ガラケーで記念写真を撮ろうとする父の姿です。

父94歳の現在地

父は16年前、78歳の時にガンと診断され、脾臓全部、肝臓の大部分でソフトボール大にデカくなっていたガンをともに摘出した。

しかし父が患ったのは厄介な「血液ガン」であったため、手術は所詮「トカゲの尻尾切り」に過ぎず、全身への転移を防ぐ放射線治療に命運を託すことになる。

80路近い高齢での放射線治療は本人にとっては過酷なものだったろう、しかし名医のおかげで一旦転移は止まり、一時は余命半年と言われていたのになんとその30倍もの「15年」が経過した。

しかし昨年、再びガンが見つかった。

本人の油断もあったのだろうか、残念ながらガンは最終ステージまで進行していた。
主治医の先生曰く「ガンは摘出不能のレベルだし、高齢だし。とても手術は無理です」。

かくして父は自宅で、痛みに耐えながら余命を全うすることになったのだ。

私が彼のベッドのそばでの生活を始めたのは、まさにこの時、1年3ヶ月前のことだった。

この時点で父は、部屋の中をよちよち、あるいは大便のためにトイレへ、そして大好きな風呂に入るために浴室へと、恐ろしくゆっくりではあるが、なんとか杖を頼りに歩くことぐらいはできていた。

ただ体温は常に35度しかなく、室温が30度であっても「とても寒い」と言い出して。

そして今年の夏はひどい酷暑が続き、熱中症へのケアも含めて、室温と体温の管理が次第に難しくなっていった。

末期の前立腺ガンの進行によって尿が濁り、抗生物質の服用も始まった。

同時に、杖をついて起きあがろうとしてのベッドサイドでの転倒も頻発。

今は寝ている時以外、目を離さないことが必要な状態になっている。

母88歳の現在地

母は、加齢による難聴がひどく、私が全力で喚くような声を出さないと会話にならない。

体が極めて丈夫なため、これまで医者にかかったり入院したりすることは私と妹を出産した時が最後、ここ60年以上もの間一度たりともなかった。

幸か不幸か、おそらく不幸なことだったであろう、それに本人の大の医者嫌いが重なって、白内障(末期)と重い緑内障をずっと放置し、結果ほとんど失明するところまで進行してしまった。

一緒に暮らし始めると、たちまちその深刻さは私にもわかり、説得に説得を重ねて今月なんとか両目の手術にこぎつけた(失明は回避し、最低限の視力を回復)が、しかし耳はほぼ聞こえないので、依然一人での行動は危険極まりない。

そして、ボケもかなり進んできた。

医者に連れて行ったり外出した時に、目を離せばその間に必ずと言ってよいほど財布などを無くして大騒ぎになるし、一人では他の人との会話は進まない。

体はすこぶる健康でも、ほぼ寝たきりの父よりも動きたがる母の方にサポートのパワーが日に日にかかるようになってきているのが実情だ。

私66歳の現在地

そんなわけで、「とてもゴルフどころではない」というのが私の現在地である。

全てを一人で背負ってしまうと、とてもじゃないけどもたないとも思うが、幸いなことに母はクリスチャンで、親友が多い。みな親切な方ばかりで、これまでも私が仕事で出かける時には父母の面倒を皆さんにみていただいていた。

父もいよいよ外に連れ出すのが難しく病院にも連れて行きにくくなっていたところ、主治医(クリニック)の先生が看護師さんを連れて往診に来てくださっているし、親切なヘルパーさんにも恵まれて、本当に助かっている。
そんなわけだから。

まず、父を最期まで看取るということは、確実にできると思う。

問題は、その後。

残された母のQOLサポート(要するに介護)である。
これをどうするかが、私のQOLつまりは3つのエージシュート(老齢達成)を目指した生活、私自身の生きがいに大きく関わってくると思われる。

まず、母をどうする?

母を施設に。

その選択はあるだろう。

しかし、それは最後の最後である。
かなりボケてきたとはいえ、まだ私のことを子ども扱い(認識できる)間は、その選択肢は排除するつもりだ。

つまり、私の限界ギリギリまで母と一緒に暮らそうと。そう決めているのである。
でないと、ようやく今できかけている恩返しが中途半端になってしまうじゃないか。

ただ、問題が一つある。
それは、母の身体がすこぶる健康であるということだ(笑)。
昔に比べれば痩せたが、体重もなんとか50キロはあり、よく食べもする。

おそらく相当長生きできるのではないだろうか。

もし100歳まで生きるなら、それはそれで嬉しいが、その時の私の年齢が78歳だと思うとゾッとする。

その歳まで私が生きていられる保証もなければ、その年齢になって母を世話するパワーが残っているかもわからないのだから。

おそらく、いつかは。

どこかの時点で施設のお世話になる決断を迫られることになるのだろう。

ただ、私はできうる限り、その決断を遅くしたい。
なぜならこれまで、仕事を含めて、人様に胸を張れるような生き方をしてくることができてこなかったからだ。

自分の夢を追う前にやるべき全うすべき「母のQOLサポート」と言う大前提こそは、そんな私にとっては「人として真っ当な生き方をしてから死ぬ」ための、いわば人生の「最後の挽回機会」であり、これこそは老後の私に課せられた一つ目のエージシュート(老齢達成)だと認識している。

では次に、ゴルフはどうする?

精一杯の恩返しをして順次しっかり見送ることができたならば。

あとはいよいよ完全に解放された私自身の心の赴くまま「旅」に出て、3つの終活=エージシュート(老齢達成)に邁進し、その途上でいつしか力尽きて天に召されるのみである。

改めてになるが、私の人生において個人的に決めたい3つのエージシュートの1つ目は、西脇CC所属のゴルフネーム永治修太としてゴルファーならおそらく誰もがやってみたいであろうエージシュートを達成することだ。

これは何度も言うが、何がなんでもやってやると決めていることだ。

これが「昔取った杵柄」ってやつか!

実は今日、とんでもなく嬉しいことがあった。

父をヘルパーさんに任せ、母を目の病院に連れていった際、いつも2時間はかかるので、病院の近くの打ちっぱなしに行ってみた。何せ3ヶ月間、クラブに触りもしていない。もうすっかり下手くそに戻っているのではないかと言う不安しかなかった。
時間もないし、たった40球だけボールを買い、集中して1球ずつ丁寧に打ってみたのだが、最初にウエッジ、次にアイアン、そしてウッドの順に1球ずつ打ったところ、なんとミスショットゼロ。40発が40発とも、3ヶ月前の自分の「ベスト」な状態を保っていたのだ。何十年乗ってなくても、自転車には乗れる。そんな感覚が嬉しかった。希望が見えた。

そうだよ!こうして3ヶ月ごとに、技術の維持を確認していけばいいだけのことではないか。今更もう飛距離アップなんぞ望んじゃいない。プロじゃあるまいしさ。

どうせ寄せワンに頼るアマのシニアゴルフでは、どうしたってエージシュートの達成は最短でも72歳(パープレー)なのだ。あと6年、72歳まで技術を維持することに専念し、72歳からラウンド復帰してもきっとやれるはずだ、と、そう感じた。
仮に72歳で達成できた後に、元気でまだゴルフができるようなら、あと何回エージシュートを達成できるものなのか、達成回数に挑戦すればいいではないか。

日本全国車中泊旅はどうする?

そして2つ目のエージシュート(老齢達成)は、日本という美しい国に生を受けた一人の人間である越生康之として、大好きなこの国の津々浦々を車中泊で旅し、この国に生まれたことの恵みを人生最期の1日まで感謝のシュートとして打ち続けることである。

具体的には、各地で生きる人たちと触れ合い、重ねる年ごとにそれなりに重みを増した言葉(詞)にして、曲をつけたシュートの形を受け取っていただくという活動になる。

何よりこの「車中泊で全国を回る」という行動は、ゴルフのエージシュート達成と、ゲリライブ活動継続と、ワンセットである。

今は、何かあればすぐ帰らないといけない、仕事を含めて行動範囲3時間圏内で生活している私だが、これまでの人生で、一応47都道府県のすべてを一度は訪れてきた。
とはいえ日本各地の魅力は無尽蔵。
死ぬまでこの国を味わい尽くすべく旅を続けるつもりだ(お金がないので車中泊でw)。
その旅を続けるための相棒、オールシーズン車中泊が可能で、雪道も悪路も大丈夫なものともしないタフな4WDを視野に、車は現在厳選中である。

じゃあ、ライブはどうする?

旅を続けながらの3つ目のエージシュート(老齢達成)は、弾語亭マレンコシという芸名で日本全国でのゲリライブを死ぬまで続けることだ。

気のむくまま運転する私の車が着くその先々でインスタントライブをするという独自の活動をして「弾語亭のゲリラ・ライブ(略称ゲリライブ)」と称している。

お声をかけていただければノーギャラでどこにでも行くというやつだ。

中学生の頃にギターを始め、高校生以降バンド活動を続け、55歳からはピアノにも挑戦してきた私だが、今はギターとピアノの二刀流弾き語りの弾語亭マレンコシ(芸名)として、生活費の足しにするために音楽スクールで講師のお仕事もさせていただいている。
でもそのレッスンはすべてリモート。
私がどこにいようと、生徒さんに迷惑をかけることはない。
だから人生最高の上司・蔵野さんのライフワークである「大阪蔵屋敷」のお手伝いありきで年間スケジュールは組んでいる。

生前御礼

そんな旅先から、私は、「エージシュートへの道〜雨(老老介護)のち晴(老齢目標達成)、余生で幸せをつかむまで〜」と題してブログとYouTube、FBなどを随時発信していく(ブログでは小説なども発表)。


さあ、この4つの「どうする?」が「どうなる?」やら?

一つたりとも譲るつもりのない4つのエージシュートの行く末は、果たしていかに? 

それらがいかなる結末を迎えようとも、

私は十分に幸せだった。

ご縁があった全ての人に感謝。

ありがとうございました。