2024年2月9日、満年齢が66になりました。
振り返りますれば私は、写真のローソクの数の如く9年スパンの「7章立て」の人生をあまり深く考えることなく走ってまいりました。
第一章:淡路の祖父を慕い続けた9年(そして明石へ)
第二章:自由奔放だった明石での9年(そして高校卒業)
第三章:食っていく術を見つけた9年(芸大からリクルートへ)
第四章:経済乱高下に踊らされた9年(そして予期せぬ大震災)
第五章:阪神淡路大震災と戦った9年(子育てに奮闘努力の日々)
第六章:家族のためのみに働いた9年(嗚呼不健康単身赴任生活)
第七章:仕事を選別し断捨離した9年(心筋梗塞とコロナで終焉)
この度、人生第七章をもちまして、両親はじめ恩人へのお返しや、真に大切な友人たちとの交流など一部を残し、これまでの生き方にいったん区切りをつけました。もともと還暦で心筋梗塞を患った時点で、今後というものがなくてもおかしくなかった、そう思えば今はまさに「余生」です。幸いやり残したテーマが3つありますので、ありがたく頂戴した「余生」を以下の3つの章に分け、それぞれ異なる人格として生きてまいります。
第八章:旅ゴルファー永治修太として流離う9年(エージシューターになる)
第九章:ミュージシャン弾語亭マレンコシの9年(日々思うがままを弾き語る)
第十章:小説家(ペンネーム未定)としての9年(思想信条人生のすべてを書き記す)
運よく最終第十章まで生き抜けば90歳。
間違いなく、思い残すことは何もなく死んでいけます。
高齢者としてはまだヒヨッコ
令和の時代に入り、日本人の平均寿命は男性約81歳、女性約87歳と大きく伸びている。医療技術の進展と相まって、今後もさらなる長寿化が見込まれており、現在60歳の人の4人に1人は95歳まで生きるという試算もある。まだ高齢者の入り口に立ったばかりのヒヨッコなので実感はまるでないが、私が90歳までの人生計画を立てたとりあえずの根拠である。
一方で、我が国の人口動態からきわめて深刻とされるのが、ご存知「少子高齢化」の問題である。
釈迦に説法のようで恐縮だが、人口ピラミッドで見ると、かつては「富士山型」であったものが、現在は「ツボ型」となっていて、これからは「ツボ型」の形状は変わらないものの、高齢者が若年者に比べて突出して多いという姿になることが見込まれている。
私たちがこれから生きていく日本は、世界に例をみないほど急速に「高齢化」が進行しているのだ。
同時に、出生率の低下による「少子化」も進んでおり、21世紀半ばには、国民の2.5人に1人が65歳以上の高齢者という超高齢化社会が到来することが予測されているのである。
だから、きっと増税があり、年金減額がある。
私を含め、高齢者が増えると、税金が使われている医療や年金、介護などに必要なお金が増えていくからだ。
仕方ない。高齢者の生活を支える若い人の数は減っていくとの予想は確実視されている以上、今のままの税のしくみでは、私たちの社会が成り立っていくのは困難になる一方なのだから。
旅ゴルファー永治修太としての人生
そんな中で、今年から私は、旅ゴルファー永治修太としての八章目の人生をスタートさせた。
具体的には、美しい日本全国を旅し(基本車中泊)、津々浦々のゴルフ場でエージシュート(年齢以下のスコアを出す)に挑戦する日々。高齢で日々衰えゆく両親との日常を当面最優先するので旅程には制限がかかり、つまりはどうしても近場の旅からのスタートになる(昨日までの2日間もその近場旅だった)のだが、全ての旅とラウンドの詳細は、このブログに包み隠すことなく赤裸々に書き残し始めている。
ところが、個人事業主ゆえ退職金などもないくせに、老後資金のことをあまり考えずに2人の子どもを社会の送り出すことのみに集中してしまい、ふと気づけば資産というものがほとんどない。国民年金と厚生年金の2階建ての年金はあるが、これは死ぬまでメシだけは食い続けるためのお金。今すぐに仕事をゼロにしてしまえば、「エージシュートの旅」を続けていくのは到底無理なのである。
そこで、まだ働けるうちは、できる仕事を続けていくしかない。エージシュートの達成のその日まで仕事を続けていくことができて、その収入を「エージシュートの旅」に充てることができればそれが理想である。
「エージシュート達成」という夢を現実にするために
スポーツでは、「逃げ切る」という表現がある。
たとえば野球では、最終回にクローザーと呼ばれる抑えの切り札が登場し、1点差を辛くも守り切るという試合。そんな試合は、ハラハラドキドキ、まさに「逃げ切る」展開だ。せめて2点、3点の差があれば、少し余裕を持って観戦できるのだが。
そんな野球に高齢者の仲間入りをしてしまった私の現在を例えれば、7回までなんとか同点できたけれども、8回9回の打順が悪く点を取れそうもない上に、中継ぎとクローザーも使い切ってピッチャーが残っていない、みたいなものである。
もし、予想以上に早く完全リタイアの日が来てしまったら「エージシュートの旅」資金はたちまち行き詰まる。そのために、あれこれ考えた結果、遅まきながらではあるが「なんちゃって投資」を始めている。残りの人生を(金銭的に)「逃げ切る」イメージがなかなかできない中、何もしないより何かをしようと始めた一手である。
その投資手段の一つが、2024年の1月からスタートした新NISA(ニーサ)。ど素人の入門編のような手段であり、そんなレベルを語るのは投資家の皆さんの前では恥ずかしい次第だが、つみたてニーサにしても成長投資枠にしても上限いっぱいまで突っ込んで、72歳までには1800万円の上限枠いっぱいの運用状態に達していたいと。見栄を張ろうが爪を伸ばそうが、それが現実だから仕方ない。もし90まで命があったら、これも90歳まで細々と運用して命を繋ぐという思惑だ。
ふたたび釈迦に説法だとわかった上で。通常、株式や投資信託などの金融商品に投資をした場合に、これらを売却して得た利益や受け取った配当に対して約20%の税金がかかる。ところがNISA(ニーサ)を利用すれば毎年一定金額の範囲内で購入したこれらの金融商品から得られる利益は非課税になる、つまり、税金がかからない。素人は、このメリットの範囲内で細々と。働いて稼ぐお金の一部は、銀行に置いておいても目減りするだけなので、一部はこの仕組みを使うことにしたわけである。
NISA投資と預金、「エージシュートの旅」資金のバランス
この「投資」を続けられれば70歳の時点で、投資枠いっぽいの1,800万円の元金と、その運用益が確保される。もちろん元本が保証されない投資リスクがあるので、これとは別に、働いて稼ぐお金の一部はやはり預金にも回す。
NISAの上限枠は1800万円。72歳時にこの上限枠に達して、その年にパープレーをすることができてエージシュート達成ができれば計画通り。さすがに72歳でパープレーというのは相当にハードルが高いので、そこでまだ達成できない場合、次のゴールである80歳時点での資産形成額と、「エージシュートの旅」資金の金額のバランスを再度調整する必要に迫られる。できれば72歳でパープレーという最高の結果が得られれば、あとは躍起になって旅を続ける必要もなくなり、人生の第九章はギター一本あればお金は一切使わない生活なので、なんとか逃げ切れる公算は一気に高まるのだが(笑)。
兎にも角にも、第一に72歳でのゴルフの実力やいかに。第二に、72歳あたりまで仕事ができるか。この2つが大きな課題であり、今はその両方のソリューションあるのみである。
問題は、それまでに働けなくなる、仕事がなくなる、健康を損ねる、その時だ。
そういうリスクのために、投資と預金、そして保険の3つのバランスを大きく崩してはならないということを肝に銘じておかねばなるまい。
何はともあれ、走りながら考える。
昔から、私にはそれしかできない。
すでにエージシュートの旅は始まっているのだし。