兵庫県佐用町の名所の一つである平福地域にある道の駅が、「宿場町ひらふく」です。
この駅がある町・平福は、宮本武蔵が幼少時代を過ごした町として知られており、写真のように、武蔵が生まれてはじめての決闘を行ったという逸話もある町です。
江戸期には因幡街道最大の宿場町としても名を馳せ、現代でも武蔵のストーリーや昔ながらの街並み、すぐ近くには朝霧の名所でもある利神城跡などの観光資源にも恵まれ、多くの人が訪ねてこられていました。そしてそのピークを迎えたのが2003年。この年の大河ドラマ「武蔵~MUSASHI~」の影響で平福には多くの人が押しかけました。
地元の人たちが集まる道の駅
しかし大河ドラマの影響はその後20年の間にすっかり薄れていき、道の駅を訪れる客数はすっかり減っていった。駅は現実を受け止め、大きく方向転換を図る。
もともとこの平福周辺には、地元の人が気楽に立ち寄れる飲食店や売店が少なく、買い物が不便だという声が多数あった。
そうした地元の状況を鑑みて、駅は品揃えを一新した。それまでの観光客を主体とした土産ものばかりの品揃えから、一般的な日用品や他の地域の特産品なども置くようにして、地元の人にも喜ばれる場所へと徐々に変身を遂げていく。地元の人が作った食料品や手芸品なども積極的に店頭に置いたり、単に商品を売るだけでなく、地域の人たちへ創作の場を提供するなどの活動も行うようになり、現在では地元からの客足も増え、駅はより地域の人々と近い存在となっている。
こうした「駅のコンセプト」の変化を受けて、佐用町で採れた新鮮野菜、生花が、観光客向け価格ではなく、地元の人が納得して買い物できる「お買い得な価格」で販売されている。
特産はなんと言っても、山菜の王様と言われる「自然薯」だ。佐用町の自然薯は強い粘り気があり、栄養価が高く、滋養強壮に優れており細く長いことから縁起物としても重宝されている。寒暖の差が大きい佐用町の気候を生かして栽培されており、毎年11月頃から旬を迎える。
佐用特産丹波黒大豆の枝豆も隠れた逸品だ。真黒豆といえば、丹波篠山市を思い浮かべる人が多いが、佐用町も気候が似ているため、大きな粒と強い甘みがある特徴は丹波黒豆に引けを取らない。佐用町の真盛で栽培されていることから「真盛産丹波黒」と呼ばれている。
自然薯も丹波黒も、旬の時期が来れば地元の方やリピーターたちが、「もう入荷したか?」と我先に求めにくる人気の特産だ。
佐用町はまた、もち大豆、ひまわりの産地としても有名で、もち大豆味噌やひまわり油・ドレッシングなどの加工品がお土産品として人気である。
無添加で薬品処理を一切行わない自然な「ひまわり油」は身体にやさしい自然な油で揚げ物・炒め物・マリネ・手作りドレッシングなど、いろいろな料理に使える。町特産の「佐用もち大豆」を使用したもち大豆味噌は日本晴の一等米と天然に近い赤穂のあらなみ塩を使用してじっくり成熟させていて、色つやがよくうま味抜群。味噌汁に、あえ物に、和風サラダにと幅広く楽しめる。
レストランのコンセプトは「町の定食屋」
駅にはレストランも併設されている。
観光客に喜ばれるような地元の特産品を使ったものから、地元の人たちが気軽に外食できるようにと定番メニューまで幅広く網羅。キジやカモの鍋料理やこんにゃくラーメン、道の駅こんにゃく定食などを提供している。なんと言っても、いわゆる観光地価格ではなく、「町の定食屋」のような価格設定が嬉しい。
しかコロッケはマスト
そして道の駅”宿場町ひらふく”に来て食べずに帰れないものといえば「しかコロッケ」だろう。
しか肉の臭みもなく、それでいて肉感しっかり。お値段も150円とリーズナブルだ。しかコロッケとともに食したいのが「こんにゃくミックスソフト」。地元産のこんにゃくを練り込んだ一風変わったソフトクリームだが、しかコロッケのデザートとしてぴったりと思う。
駐車場は、全く違うものが2つ
写真上は、道の駅の施設前にある第一駐車場。トイレはもちろん、ここが近い。
写真下は第二駐車場だが、第一駐車場の横を走っている坂道を登ったところにある。
こんな感じで、とても落ち着いた佇まいの駐車場。トイレが遠くなるのが難点だが、仮眠するなら絶対この第二駐車場がお勧めだ。
休憩場所もいい感じだし、街を一望できる展望台まである。
道の駅「宿場町ひらふく」にはサイクルステーションがある。
更衣室やコインロッカー、水洗い場も備えられており、車で来てから周辺のポタリングなどが楽しめる。この後紹介するが、道の駅周辺の数々の名所旧跡は密集しており、車で通りすぎてしまうのではなく、自転車を利用して訪ね歩くのもいいと思う。
ちなみに、佐用町では因幡街道・千種川をサイクリングする「いなちくロングライド」という大会が行わている。名水百選にも選ばれた清流として名高い千種川を舞台にした大会コースだけに、サイクリングコースとしても初心者から上級者向けのコース設定が充実している。
休憩場所、トイレはごく普通
建物内の休憩はこんな感じだが、第二駐車場の休憩場所(野外)はもっといい。
自転車あるいは徒歩圏内に多数の史跡
道の駅「宿場町ひらふく」の周囲には、「金倉橋跡(宮本武蔵の初決闘場所)」、「利神城跡」、「平福本陣跡」、「平福陣屋跡」など史跡や旧跡が多数ある。しかも、これらの観光スポットは道の駅の周辺に集中していて、徒歩で簡単に散策できるのが特徴だ。ざっと紹介しよう。
宿場町 平福
江戸時代初期、池田氏により城下町として整備された。一国一城令により利神城が廃城となったため城下町としての歴史は短かったが、陣屋や鳥取藩本陣が置かれ、因幡街道有数の宿場町として発展。南北1.2kmの区域300戸余りの家の約8割に屋号がつく商人の町となり、昭和初期まで因幡街道および佐用の中心として繁栄した。
旧街道沿いを歩けば、連小窓と千本格子を持つ古い家並み、佐用川沿いの石垣上の土蔵群など、往時の面影を感じられる。
宮本武蔵初決闘の場
慶長元(1596)年、武蔵13歳とき、新当流有馬喜兵衛の「何人なりとも望みしだい手合わせいたすべし、われこそ日下無双兵法者なり」という高札を見て初めての決闘をいどみ、一刀のもと倒したといわれている。五輪書序文の一節の碑があります。
天満神社
平安前期に学者・政治家として活躍し、今が学問の神として有名な菅原道真が祀られている。
平福郷土館・牢屋敷跡
江戸時代の町屋の代表的な建築様式を再現した資料館。大屋根の煙り出し、くぐり戸のついて吊り上げ戸、葬式の際の出棺にだけ使う出口などの特徴があり、館内には宿場を支えてきた商家の商い用具や民具類、利神城ゆかりの品などが展示されている。
法師塚・しゃくなげの里
弘法大師の教えを世に広めようと、高野山の名僧・恵念法師が各地を巡行中にこの地で病死した。村人たちは手厚く葬り、塚を建立してその徳を偲んだが、その後立派なお堂が建てられ、信仰の地になっている。4~5月にはこの山の傾斜を利用した大規模なしゃくなげ園に150種1万本のしゃくなげが咲き誇って美しい。
利神城跡
貞和5(1349)年、赤松一族の別所敦範が利神山山頂に築いたのが利神城。
慶長5(1600)年、関ケ原の戦いのあと、池田輝政の甥・池田出羽守由之が2万2千石の領主となったが、由之は5年の歳月をかけて広壮な城郭を造営。山麓には城主屋敷、武家屋敷を配した。さらに街道沿いに町人地(現:平福宿場町)を設けるなど、城下町の建設にも尽力。3層の天守は、あたかも雲を衝くが如き威容から「雲突城」と呼ばれていたが、一国一城令により廃城となった。
平福駅
兵庫県赤穂郡上郡駅から鳥取権八頭郡智頭駅に至る智頭急行智頭線の駅で「近畿の駅百選」にも認定されたことがある。数少ない旅客通路(線路を横断する通路)がある駅でも知られ、近くには「スーパーはくと」と桜、トンネルを撮影できるスポットがあり、鉄道ファンの聖地の一つともなっている。