
ご存知源頼朝の妻・政子は、これまたご存知北条時政の長女であるが、彼女の生誕の地に向かう途中、東南方面からの富士山が見えたが、これが変な雲のかかり方をしていて気持ち悪い。それは、これから行こうとする場所に恐れを抱いている私の気持ちの表れのように見えた。
私が向かっていたのは、私が忌み嫌っていると言って過言ではない「稀代の悪女・北条政子」生誕の地である。
1157(保元2)年、現在の伊豆の国市の寺家の地に政子は誕生した。そして、その時に産湯の水を とったのが、下写真の井戸と伝えられている。

この井戸の水は北条政子の伝承から、この水を飲むと安産になるという信仰が生まれ、政子が生まれた「寺家」地区を中心に伊豆の国市の四日町・中條地区を含めて「北条の里」と呼ばれるようになった。
もう3年前になるが2022年の大河ドラマは鎌倉幕府の第2代執権「北条義時」が主人公の「鎌倉殿の13人」だったが、鎌倉時代初期、源頼朝亡き後の権力闘争が人間の為せるわざらしく生々しく描かれて、私的には久しぶりに楽しめた。ただ一つの違和感は、大河ドラマの主人公・義時の姉、北条政子が私が思うような「悪女」として描かれてはいなかったことだった。
一般的には、北条政子は夫である源頼朝亡きあと鎌倉幕府を支えた女傑で、政治的手腕に優れた女性であると言うこと。そして、悪女と言われる側面については、「頼朝への愛情が強すぎた嫉妬の激しい女」と言う風に思われているようだ。
しかし、私が思う本当の政子はそんな可愛いものでは決してない。悪女としての政子の真骨頂は、背筋が凍るほどの「陰謀」にあるのだ(あくまで私の歴史認識)。
彼女がどれほど恐ろしい悪女だったか。私なりの、独断と偏見の人間分析をしてみたい。
「陰謀」は、平氏と源氏の結婚に端を発す?
源頼朝は、ご存知のように第56代清和天皇の血を引いた清和源氏の由緒正しき系統・河内源氏の出身である。かたや政子は第50代桓武天皇の血を引いた桓武平氏の中でも平直方(たいらのなおかた)を祖とする板東平氏の出身。彼女の実家は伊豆の北条に土着して北条氏と名乗った地方官吏の家で、平清盛で知られし伊勢平氏とはまったく別の系統。清盛や頼朝の家よりはるかに家格は下だった。
1159年、平治の乱の敗戦で源義朝の息子・頼朝は伊豆に流罪となるが、このとき政子の父・北条時政は現地で彼の監視役を務めていた。頼朝と政子は恋愛結婚だが、身分の高い頼朝が流人だったからこそ2人は出会っている。格差はあっても一応「源氏と平氏の婚姻」がここに成立した。
このころすでに京での平家政権には陰りがさしていて、北条氏は平家を見限って源氏の嫡流である頼朝を援助することにしたようだが、のちに頼朝は鎌倉幕府を興したわけで、北条氏の選択には先見の明があったということになるだろう。
誰が源頼朝の家系を全滅させたか?
私がもっとも注目するのは、もちろん頼朝との結婚ののちの政子。夫・頼朝を皮切りに、彼の血を引く子たちが次々と命を落とし、その結果政子の実家である北条氏が執権として台頭したという「不自然な」流れである。
私の仮説は、あまりにも「不自然」な、政子の夫、息子らの相次ぐ死に、直接あるいは間接的に「政子の陰謀」があったとするものである。
では頼朝の家系が全滅していく過程を、年を追って見てみよう。
・1199年 源頼朝が落馬事故で死亡
・1202年 源頼家が18歳で第2代将軍とな李、出家した政子は頼家の後見人となる。しかし頼家は政治に興味がなく、妻の実家の比企(ひき)氏を重用したが、政子と彼女の実家の北条氏はそれを脅威と感じていた。
・1203年 北条氏がその比企氏を滅亡させ、頼家の嫡男・一幡を殺害。政子は頼家を伊豆の修善寺に幽閉した
・1204年 その源頼家が暗殺される
・1219年 第3代将軍源実朝が鶴岡八幡宮にて甥の公暁(くぎょう)に暗殺される。のちに公暁も口封じのために暗殺される。さらに頼家の他の男子2人も自害と殺害で死亡。源頼朝の家系全滅に至る
鎌倉幕府を乗っ取ったのは政子の実家
頼朝の家系が絶えて得をするのは誰か?
もちろん、将軍を支え執権を務める政子の実家、北条氏に決まっている。
政子の父である鎌倉幕府初代執権・北条時政に続き、頼朝の死後には政子の弟・北条義時が2代目に就任。その後、北条氏の嫡流は「得宗(とくそう)家」と呼ばれ、初代執権・北条時政から16代執権・北条守時までの130年間執権職を独占したのである。
政子の夫・源頼朝、息子の頼家や実朝、孫の公暁らが相次いで不審な死を遂げる中、政子だけが生き残り、そして実家・北条氏の中枢として政治の中心に立っていた。
どう見ても、夫・頼朝の家系を残すことよりも、あろうことか実子を犠牲にしつつ実家の家系繁栄を望んだように見えるわけで。多くの人はそう思いたくないかもしれない。しかし現代にも、保険金目当てで夫や子を殺害する「毒婦」は稀に存在する。
妻であり母であるにも関わらず、政子がそうした陰謀を主導していたとしたら。
政子は正真正銘、稀代の悪女と言って間違いない。
お〜こわ!
伊豆観光の情報発信基地的道の駅
道の駅「伊豆ゲートウェイ函南」は、高規格道路の伊豆縦貫自動車道の函南塚本ICから国道136号線を通って南西に600m、 静岡県東部の函南町にある。




道の駅周辺は田畑と河川に囲まれた自然豊かな環境。
近くに「川の駅」もあり、狩野川沿いの散策を楽しむ人もちらほら見かける。

伊豆半島にある他の7つの道の駅は、交通の不便さゆえか集客面で苦戦している。そうした状況下で伊豆観光の拠点を担うべく掲げられたキャッチフレーズは「伊豆は一つ」。
道の駅「伊豆ゲートウェイ函南」は、旅行客を伊豆半島の7つの道の駅に誘客することを目的として、 伊豆半島の魅力を紹介するまさに「ゲートウエイ」として2017年5月にスタートした。

期待通り、開業から6年7ヵ月の2023年12月に通算来客者数が1000万人を突破している。
これは年平均にすると152万人という高レベルの集客力で、 2023年の年間利用客は開業以来最高の197万人を記録。年間客数200万人突破も現実味を帯びている。

駐車場もトイレも、混雑時の動線などよく考えられており、清掃も行き届いている。





休憩環境としては、屋内外ともに選択の幅が広く、自由度も満足度も高い。






伊豆地方の特産品を多数販売
道の駅には、物産館、農作物直売所、寿司レストラン、カフェレストラン、タリーズコーヒー、そしてコンビニまである。

物産館に販売されている商品数は非常に多く、 函南町の特産品はもちろんのこと、伊豆地方の特産品を網羅している。
牛乳大好きの私が気になったのは、「丹那牛乳プレミアムクッキー」「丹那牛乳サブレ」など函南町の丹那牛乳を使った商品群。丹那牛乳の自動販売機があって、搾りたての濃厚な牛乳を味わうことができる。

伊豆の魚といえば「金目鯛」。「金目鯛のやわらか煮付け」「金目鯛昆布巻き」「金目鯛飯の素」「金目鯛のっけ飯」等々、金目鯛を使った商品も数多い。
同様に、「さくらえびの舞」「桜エビの釘煮」など駿河湾で獲れた桜エビを使った商品の存在感も大きい。
物産館の一角にある農作物直売コーナーには地産の野菜・果物が並んでいる。

飲食施設では近海の魚と函南トマトを
飲食関連の施設は、寿司と和食の店「沼津魚がし鮨」、カフェレストラン「GREEN GRILL KISETSU」の2つがメイン。
「沼津魚がし鮨」は伊豆近海で獲れた魚を使った寿司が人気。 建物の2階にあるカフェレストラン「GREEN GRILL KISETSU」は函南町特産のトマトを使った料理が評判だ。
めんたいパークとわさびミュージアム
近隣施設も充実している。道の駅の南側にあるのは「めんたいパーク伊豆」だ。


明太子の老舗メーカー「かねふく」が運営する明太子専門のテーマパークだ。
テーマパーク内にはフードコート、建物の2階にはキッズパークや富士山が見える足湯もある。
道の駅の北側に隣接するのは「伊豆わさびミュージアム」。
伊豆の特産品であるわさびの加工場に併設された店舗である。わさびの直売所だけでなく食事処もある。

